お前、仕事しろ

なにも身体から力が出ないというときがある。鯉のぼりのようにただ春風に揺られていたいと思ったが、あれは屈強な筋肉系YouTuber達の黒帯のようなもので少なくともpc前でくたばっているこの自堕落の極まった現在の私が、やることではない。てか出来ない。

私は何をすればいいのか?

目の前の、ディスプレイに映る流星群を網膜のうらで感じている。それは単なる模様ではなくて一つ一つがやれ調達/生管といった意味を持ったシグナルであることを自覚した瞬間に、あたまの裏側がうず痒くなる。だから即座的な、快楽的な考えをすれば知識なんてものは、本当に無駄であってただ人を不快にするだけであるように思うが、あくまでもそれは一面的過ぎるものの考え方で、逆にこの模様が意味に転化するまではこの現実世界にただいなかったというだけの話なのだ。

模様だけでは、このディスプレイの奥にいる人間の動きを感じることはできない。だから模様として喉の手前で深く味わっているときは、わたしは製造や営業やその他諸々を完全に遮断しているわけだ。誰それ状態。わたしたちは、好きなタイミングで意味を汲み取りすぎてしまう世界、人の動きを予測し過ぎてしまう世界、にいつでも帰ることができる。色合いや模様に満ちた解像度の低い無法地帯は、冬の炬燵のように温かい。