氷を作る人

冷凍庫に溢れんばかりの氷がわんさかあるのをみると、明らかにわたしではない「他の存在」を感じる。そう、他者の存在。それは言うまでもなく妻なのだけど、わたしなんぞは「おっ!氷が無くなったな?」と思ったところで、製氷機に水を入れるという善行を生まれてこの方したことがなく、(これが理由で極楽浄土には行けないという懸念すらあるわけだけれど)、逆に妻という人間がこの点においてはただ有能過ぎるだけかまたは氷への執着が人一倍に強いのかのいずれかであろうか。

いずれにしても、妻は「氷が無くなったら作る」という習慣を確実に持っている。なぜかはわからない。理由はどうであれ、客観的に優れた人間であることはまず間違いないだろう。氷が無いと認知した場合、私は次の機会(次に使うひと)のことを考えはするが氷を作るという境地には至らない。ということは、妻が氷を使いたくても使えないという由々しき事態が幾度となく現実に頻発しているハズなのに、しかしながら、にも関わらず、彼女はこの五年間一度たりとも私に苦言を呈した事がないという事実を、とても尊いと感じる他はないだろう。山盛りの氷をみるや、ある種の敗北感すら私は味わうのだ。

何をコイツは氷如きで云々....とおっしゃる気持ちもわたしには分かる。いやでも寧ろ、氷だからこそ、人間の真価のようなものが漏れいずるのではないだろうか?氷という暑い季節のインフラ的な生命線とまでは言わぬも私たちの生活を確実に豊かにするあの冷たく透明で妖艶な白にしっかりと意識を払えるということは、地味で目立たぬがだからこそ立派なことであろう。

妻はよく会社の会議で仕切りがうまくいかず全然回せない自分に腹を立てて自己嫌悪に陥っているようだが、この世に氷を作れる人間はそもそも限られているのだ。氷を作る才能を持たされたのは、ほんの一握りの選ばし人間のみである。そのことについてもっと誇りを持って欲しい。あなたは氷を作れる存在であることを。会議中に無限の沈黙に放り込まれても、片時もあなたは「氷を作れる側の人間」であることを忘れてはならない。そして、さらには、「氷を作ることを強制しない」というのはこれ以上の名誉はあろうか。