大人になれない拡張現実

落ちてきた玉ねぎが足の甲に直撃した。骨ばった足にぶつかった玉ねぎは蹴鞠のようにポンと跳ねることもなく、鈍い音だけを残して机の下を気持ちよく転がっていく。

玉ねぎはこんなにも壮観に転がるのか、ならばインドのタージマハルもよく転がり螺旋を廻るかもしれないという気分に駆られたがあれは確かお姫様のお墓であることを思い出してやや不謹慎な横槍に刺された気分になった。

 

妻が昨日わたしに真面目な顔でこう相談してきた。「会議中、わたしだけ明らかに集中してなくて、真面目な顔でむずかしい商品の説明してる商社のひとの頭の上に巻き糞がなんかチラチラして...わたしってやっぱり仕事向いてないのかも」という悩みだった。

わたしはそれ分かるよ、と、英語のリスニング最中に異様に石川さゆり聴きたくなるアレだよね?うんうんと、整然とした顔で共感を示した。現にこの瞬間、真面目な顔をして相談している妻の頭の上に、明らかに幼年の子供が書き殴ったような茶褐色の恩物が鎮座しているのが伺えた。だからこれは共感というより、その現象を完全に共有したつまりは同士といってもよかろう。

ただ、刹那、この場にもう一人でも人間がいれば、つまりは私の妻に共感を示す真面目な顔を見ては私の頭上に茶色の現象をクリエイトする輩がいれば....この併せ鏡の先は、螺旋階段は何処に連なるのか、この帰納法の行先には妻が昨日会議した商社マンもまた例外ではないかもしれない。