ほぼ最近、妻が二人目の子供が欲しいと言い出した。わたしは二人目が無事に産まれたとして、家が家として回っていくかも不安に感じたしそもそもしっかりと育てられる自信なぞあろうはずもない。しっかりと育てるとはなんだよそりゃ?それ美味いんか?と思うが、これは見えざる恐怖への防衛本能のようなもの、芥川龍之介的に言うなら漠然とした不安なようなもので、全ての意思決定に付き纏う亡霊にすぎぬことは分かっておる。頭の悪い人間が思考を凝らすことは、まったく悪いことではないと思いつつも、あんまり得策ではないことを頭が悪いなりに漸く学びつつあるので、わたしは結局二人目を作ることにした。

生々しい話になるので詳細は避けるが、私は妻の排卵日(妊娠確率が極めて高い月に一度しか訪れない大変重要な日)の朝、うっかりしてこの歳で恥ずかしながら巨乳美女エロgifで抜いてしまいその夜はまさに心敬の氷ばかり艶なるはなしならぬ、すっかり冷え切った萎びたアスパラは心ここにあらずで架空を一瞥しつつも下手な鉄砲数すら出ず、結局妻にこっぴどく叱られ寝た。

 

そんな話はどうでもよい。どんな私の話もどうでもよいのは承知だが、それでもわたしがどうでもよくない話をしている自信もなく(意識的にどうでもよい話をするよう日頃から心掛けているのだが)、すぐこういって脇道にされてしまうのが最近の頭の中である。頭の中がいかなるものであろうと、娘が産まれてきて本当によかったと思う。これはどんな全てのありとあらゆる私が生み出せる僅かながらの言葉の中で、そのなかで、最も自分の心に忠実である自信がある。

逆にこの事実以外はうわ言か、本心どころか、わたしが喋ったことすらはすべて怪しいと思う。例外は、揚げどり下さいくらいかもしれん。なんなれと、娘は私にとって動かぬ原点である。不動であり常に帰る場所であり、いかなる基点にもなる安寧であることはほぼほぼ間違いない。娘思うがゆえ娘あり、それがもう一人増えたら嬉しいだろうか?つべこべ言わずに素直に足し算してみろよ、と自分に言いたい。