人類は近年まで親指を持て余していた、かも

久しく文章を書いていなかった。

その久しくを語れるのは私にiPhone8を提供してくれた、お嫁様の友人のおかげだ。私の携帯は文字入力がままならなかった。ありがとう。よってここに感謝の意を表すとともに、わたくしのここ数ヶ月でパツンパツンに溜まったバッファをちゃぶ台返し的に解放し(ここで何故か先週愛知県のとある島で食した河豚の白子の旨さが脳裏によぎる)、誠心誠意、嘘偽りのない浄らかな、肩肘の脱臼した、ふにゃふにゃな、芯のない、直ぐに移ろいゆく、そういう文章をお披露目しようかと思う。

話は変わるが。

わたしは近頃、親指をかなり持て余した。

せっかく親指をいただいたのに、親指を正しい運用法、然るべき活用がなされておらず、これはかなり怠惰だ。傲慢と言ってもいい。親指を使う動作といったら、

 

車のドアキーを押す

社会の窓を開ける

スペースキーを押す

モンハン

 

結構使ってるじゃないですかよ、アンさんよーと思う方、正しい。実際にわたしはかなり親指を運用している。しかしながら.....しかしながら、この運用たるは、朝日新聞天声人語のみ読んで破り捨て琵琶湖に放り、日経新聞私の履歴書のみをスキャンしこれまた横の林に経済面を破棄するような人間がいるかもしれんが、おらんという一般認識において、然るに、親指の真骨頂は発揮されておらず、かれの隠れた秘技はそこには表出されない。

いやいや待ってくださいょーーぉ。ナンスカその親指のカクサレタ秘技ってぇー、まぁまぁおちつきーや、奥様。その秘技っつーのはさぁ、あれなんすよ、あれ、わたくしがingでやっちゃってる事なんすわ。誤解を恐れず言うならば

スマホの文字入力

これがわたくしが考える親指の親指のための親指による親指天職なのです。

親指こそ、親指は有史以来、いやもっと遥かに人類誕生から、スマートフォンの登場を心待ちにしていた。だから我々は割と長い間親指を持て余して生活してきた。

たしかに槍を作るにも土器を作るにも武器を振るうにも高いとこに登るにも、親指は有効だ。繊細さはないが、ぐっと力が入る。それは当たり前に認める。ただ私の中で力が入るという感覚以上に堪らないぐっとくる感覚がある。

現在進行形でわたしは一年振りにスマホで文書を書いているが、何というか、脳のドライブ感、今もだが、脳と親指がじかに直結してる感というか、親指が脳なのか脳か親指なのか、分からんという妙な感覚に襲われる。

タイピングや筆記ではこの感覚に陥ることはまだわたしは経験したことがない。