2022.4.4

わたしたちは死にそうな老人が目の前にいたとして、その人の幸せについて真面目に考えることができているのか?それはわたしの選択なのか?それは世間の選択ではないだろうか?世間の選択とわたしの選択の区別が無くなってきている。

祖母が今にも死にそうな状況にある。自然死を待つ形で医療行為は行わないと両親は判断した。両親はこれが苦しまない方法だ、と説明した。

祖母は自分の旦那の葬式も雨が降ってることを理由に来なかった。祖母は昔から死にたいだのよく口にする程度にはそういうひとだったが、わたしは祖母が本心から死にたいと口にしたことは無かったように思う。