純粋エロ肯定

週末の友人の結婚式は羨ましいという黄色い感情が湧き起こらない瞬間が殆どないほどに、終始わたしは口を開けていたようにさえ思う。

何がこんなにもええなぁと思わせたかというと、旧友らは皆んな人間活動の只中にあるということを、まざまざと感じたことである。すごく刺激的で楽しそうだな、と。

わたしの思う人間活動というのは、信頼をベースに置く健全な人間関係を結びつつも、薄らとエロのベールが透けて見えるイメージだ。信頼を置ける友達同士でお互い男女を紹介し合い、なんなら結婚までに発展してしまう。その一人間の人生を決定してしまうほどのその紹介は、わたしの想像を超えた人間関係、そんな壮大な内部がみえるスケルトンなピラミッド?のような関係を築きつつ生活や仕事もこなしてるのか?と思うと何かを失っているようにしか思えなくて、いやでも事実、多分色々手放してるだろうけど、その失っていることそのものにもそれほど興味はなく、その対価は寧ろほどほどに人間味を高める垢抜けた粋に達する近道にすら感じられてしまうほどに。

この文章の構成から、わたしは明らかに積極的に自己嫌悪をしたいのかと思ったが、意外とそうでもない。

わたしは比較的早くに田舎で結婚した。エロの世界に通ずる前に、これをほとんど経験することなく人間に揉まれて駆け引きを行うことも無しに、こんなにも安定した変わり映えのない平穏そのものの世界を手に入れた。家事と子育てに追われて足早に過ぎ去る現在、暇な時間にやることと言えば何の妄言を吐いているかわからんが一応世間には名著といわれる哲学書と戯れることぐらいしかない。当然、この世界の中で生きているという生の実感を生々しく得ることは、できにくい、というかできないと思われる。心底、無駄な時間を過ごした。

わたしは、本当に、この週末に心の底からエロを完全に諦めた。わたしは今後、エロで駆動する生身の肉体を操ることはない。肉体という意味では、南京錠のようなものがついていた過去もあり不自由したが、せっかく医学の妙技でそれを取り去ってもらったのだから、もっと活用するべきだったのでは?と単に後悔している。

とにかく、エロが直接的ないしは間接的にでも駆動力になって他者に対して影響を与えたりできることがこんなにもあるのかと純粋に思ったのである。他人をコントロールする為にエロを活用したいとかそれこそ横縞ではなく、エロという人間の根源的な力が、下世話で俗っぽいとか言われてしまうものが、こんなにもいいものなのか、と思えてしまった次第なのでここに綴っておこう。