昼休憩

疲れたーと思ってベッドの中で大きく伸びをする。嫁は職場に、娘は保育園に。わたしはベット。もうお昼になったからあと半日延々書類作成を頑張るフリをすれば、今週は逃げ切れる。

 

今週の残務は来週にそのまんま移行される。いわゆる先延ばしは、別にわたしの専売特許ではない。今が良ければ十分でないか、というその場しのぎの自転車操業的な思想は皆んなのうちにきっとある。真面目な顔して必死こいて足掻いて仕事する尊敬する先輩にもきっとそういう一面がある。本当にあるのかはしらんが、無ければならない。多様な社会は個人に一つずつ一つの個人のようなものが与えられるものでの多様さではない。ひとつの個人にすら無数の個人があって、それを受容することが多様性社会の目的であらねばならない。だから、わたしはベットにいて仕事をしていなくても、問題はあるかもしれないが、迷惑はかけているかもしれないが、誰からも生きることそのことは否定されていない。

 

と思いつつも、お前仕事くらい、しろ!と思うのだ。わたしは一方、真面目だ。言われたことはやらねばとプレッシャーをもろに受ける。上司に書類を出すときは手が震えるし、何か物申すときは拳に力を入れて心の中でどうにでもなってしまえと嘆く。

 

はやく娘を迎えに行きたいと思う。それ以外に救いはない。自己表現としてのこの書く作業も疲れた。自分たちは何かを外に打ち出さねば気が済まない、会社というコミュニティに接することが自己表現に直接繋がってくる場合もあれば勿論そうでない人間もいる。わたしは会社で得られるものも沢山あるように思う。

 

何かこのメタ的に分析を始めるということは、これも諦めに似た逃げかもしれない。わたしは明らかに逃げることを徹底してきた。無意識に。その割にたまに逃げないときもある。内臓の状態か?気まぐれか?運か?そうして不確定なものを好み雲を掴む話に吸い込まれいくのは、私自身でそういう人間の心理が何となくは分かるような気がした。