2022-1-5

もう端的に言うなれば、明日からの仕事に本当に行きたくないという気持ちで満たされている。

これが後数日で父親になる人間のリアルである。

年末の休みに私の設計ミスが発覚して、それで上司から連絡があった。その工事は年末年始に行われたものでそのときに何かしらの対応が迫られたはずだ。

上司はわたしに気を遣ってか、休み期間中は連絡を殆どしてよこさなかった。だから休み期間に行われた工事がどうなったのか?について私は何も知らぬわけだけれど、休み期間中も常に頭の隅に鎮座して離れなかったし、すっきりしなかった。

明日からは、その再発防止が私の業務の殆どを占めることになるのは間違いないし、それ事態かなり憂鬱であるし、あまり休みに出勤させたメンバーに合わせる顔がないというのが正直なところではある。

まぁ結局、幾ら明日をシュミレートしたところでそれは意味の無いことだと分かりつつも、それをやめられないというのが、私本体の丸腰の弱さであるのはそうとして、人に迷惑をかけるのはいけないみたいな麗句を私はそれなりに信条にしてきたが、結局は生きていくということが人に迷惑をかけるという営みを含む訳で、れは理念的なものでしかあり得ないのだろうか。

と思いつつも、それは幼稚ではないか?という私も存在しており、こういった問答はもう何十年と、私の自我が芽生えた辺りからやっているという気がする。

何も進んでいない。進んでいるのは一向に時間のみだ。

自分が最も恐れることは何であろうか?ただ、それにはしっかりと答えを持っている気がする。それは素直になれないこと、そのことだと思う。私は明日からの再発防止を検討する中で、確実に素直でいることができなくなってしまう。それは今までの経験上から確かだ。また無為な誰も得しない時間を過ごしてしまう。それは外的な力に折れてしまうというか、ことを少なに終わらせたいという圧力に気が萎えでしまう。

だから何もできなくてもせめて、折れないように立ってなければならない。私に必要なのはそういうシンプルな勇気だろう。