M

----貴女は、何故読まずに語るのでしょうか?何故、ここまでにして読まないことに拘るのか?読むことは、知ることは穢れでしょうか?

 

妻 読むことは、とても大変で到底わたしには無理ですね。それをやらなければならない状況に追い込まれればしますが、そうでもない限りやる必要はないでしょう。私は読まないという選択を積極的に行なっているのであって、怠惰な部分もあるけれど、読むという行為は基本的には娯楽的なものでしょう?読むということは、世界を確かに広げてくれるでしょう、それは私にでも分かります。言いたいことは分かる。私が言いたいのは、一段遠くの景色を見ることができるけど、大事なことは元の景色は2度と拝むことができないという点にあるのではないでしょうか?私たちは「あの地点」に帰ることはできないのです。あの地点とは即ち、読む前の時間のことです。

 

----不可逆性について、元に戻れないことは、貴女にとって特別な意味を持つのですか?

 

妻 昨日、最後の金魚が死んで私が泣いているのを貴方は見ましたね?旦那。アンタはなにも感じなかったかもしれないけど、私はずっと泣いていましたね。

 

----本を読むことは死ぬこととイコールなのですか?死を恐れること、これが貴女が読まないモチベーションですか?

 

妻 もし、全てを忘れたいことだけを忘れられるXという装置があれば、いいかもしれませんね。でも、わたしはそれよりも、本というのはそれを読んだ人たちの思考の総体のようなイメージを持っているんですね。レビューとかそうですね。だから私は原典そのものを読むという行為を通してでなく、林檎を見つめている皆んなの瞳を覗くことが大好きなんです。自分の好き好みを一切排除して、客観的にその作品について知る、というスタンスが私の理解の仕方の本質により近しいです。

確かに不可逆なもの、元に戻らないものへの不安のようなものは常に感じてはいるのですが、とにかく2次創作的なものが私はすきなのかもしれません。レビューは読んでもオリジナルへの肌触りがない分、怖くないです。レビューは柔らかい皮を被っているような、そういう感覚があるんですね。死の匂いが少ないです。ちょっとだけ。

 

ーーーー最後の方の表現で、わたしに対する悪意を感じなくもありませんが.....まぁいいです。今日はこれまでします。色々とお話いただきありがとうございました。

 

妻 いえ、こちらこそありがとうございました。